生きることは劇的だという言葉を思い出した。
世界は平凡で、未来は退屈で、現実は適当。それでも、生きることは劇的だと。私の大好きな清すぎて正しすぎて美しすぎる彼女はそう言った。そのとおりだと思った。
「人生はプラマイゼロだと言ってる奴はプラス」だと顔が可愛くておぞましい彼は言った。そのとおりだと思った。
私は彼女みたいに努力と才能の塊ではないし、彼のように勝利せずして人を陥れるようなことができる人間でもない。それならば、私は何になれるだろうかと思った。
答えは、平凡なように見えて実はいなくなると困る人材、だった。
お昼にはコンビニのカルボナーラを食べた。生パスタとやらはどうにもプラスチックのフォークでは巻き取りにくく、でも美味しかった。夜にはピザを食べた。手がギトギトになっても構わないくらい美味しかった。
死ぬ気はなくなった。同時に薬もなくなった。私が死んだところで何も変わらないのであれば、生きていたところで何も変わらないと思う。私の生存が害だというのであれば、ぜひとも私を視界の隅から追いやってくれればいい。私もどこかの隅っこでおとなしく生きているから。
飲めば何もかも楽になる合法的な薬なんて存在しないと思う。というか、そんなものに存在されては困る。一生飲み続けてしまうだろうから。
ところで、目下キャッシュショートを起こしているのをなんとかしたい。返さねばならないお金もあるので……。毎月クレカ代を10万円以下で抑えたいなあ。生きているだけなのにこんなにもお金がかかるとはつらいものがある。それでも生きるのだけれど。
生存2020/04/17。
あしたはきっと気分も晴れるよ。