水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

ところであなたは、正義だろうか。

私は好んで煙草を吸う。しかし、煙草というものは実際に体に悪く、色々な病気を引き起こすリスクを伴う嗜好品である。私はそんな煙草を、おそらくここ2年くらいはほとんどやめられないでいる。

 

さて、これがもしも私ではなく他人の話であったとしよう。ある男は煙草を好んでいる、所謂ヘビースモーカーだ。そんな男には心の底から愛している恋人がおり、恋人は男が煙草を吸っていることをとても忌み嫌っている。恋人はもちろんそれを男に伝えており、やめてほしいと切に願っている。しかし男は悩む。酒もギャンブルも嗜まない倹約家な彼にとって、煙草は唯一にして無二の日の楽しみであり、また、彼が勤めている会社の喫煙所にもコミュニティが発生している。彼が仕事で功績をあげられているのはそのコミュニティで得た情報の助けも多い上、一服することで精神的な余力も持つことができる。男はそのことを恋人に伝えるが、恋人はそれでも「私と煙草どちらが大事なのなんて言わないが、私はあなたと一生寄り添っていきたいし、あなたと一緒に健康的に長生きしたいとも思っている」と反論してくる。

 

ここで、私が男とその恋人の両方と仲がいいという設定を加えようと思う。

 

ある日、私は恋人のほうから相談を受ける。

 

「彼は私がどれだけお願いしても煙草だけはやめてくれない。他に不満などない。ただひとつ、煙草だけをやめてほしい。自分の祖父は煙草が原因で早々に亡くなっており、とても悲しい思いをした。同じことが彼に起きたら、自分は堪えられたものではない。そこでお願いがある。あなたからも彼に煙草をやめるようお願いしてくれないだろうか。数年来の友人のあなたと、彼の恋人である自分からのお願いであれば、彼は煙草をやめてくれるかもしれない」

 

そして別の日、私は男から相談を受ける。

 

「恋人が煙草をやめてくれと頻繁に言ってくる。臭いが嫌だとかそういう理由ではなく、あくまで健康の問題一点だけの話だ。恋人は煙草さえやめてくれれば他に文句はないと言う。自分は恋人を心の底から愛しているし、恋人もまた同じだ。しかし、恋人と出会う数年前から自分は煙草を重篤に吸っている。自分にとって煙草は精神安定剤でもあり、仕事道具でもあり、自立するための依存先のひとつでもある。煙草を吸わなかった人生と現状の対比は不可能であり今更煙草をやめるなんて考えられないし、煙草をやめることで恋人への依存が増えて負担をかけることだって考えられる。そこでお願いだ、お前からも恋人に煙草を吸うことを許すように言ってもらえないだろうか。恋人と仲のいいお前と、恋人を愛し大事にしている自分からのお願いであれば恋人も折れてくれるかもしれない」

 

 

私が出すべき結論は何であろうか?

 

「彼は倹約家であり、エリートでもある。その彼の唯一といえる娯楽が煙草でそれ以外はあなたの嫌がることをすることは全くないだろう。それに祖父のことは残念に思うが、彼が同じ結末を辿るかどうかはわからない。もしかしたら喫煙していないあなたのほうが先に大病を患ってしまうかもしれない。可能性を言えばキリがないし、ここはひとつ許してやってはどうだろうか」

 

大切な祖父を早くに亡くした恋人をそう説得する。

悲しみなど自分の物差しで測れるほど単純なものではない上に、世界的にも喫煙は肺がんの可能性を高めると言われ禁煙が進む中、それを許してやれば丸く収まるのではないかと提案する。

果たしてそれは、正義だろうか。

 

 

「彼女は本当にあなたのことを愛しているからこそ、あなたの体のことが心配で仕方ないのだ。あなたは他に恋人に負担をかけていないと言うが、最愛の恋人が切に願っていることを無下にするのは不義理というものではないだろうか。数年来の友人だからこそ言おう、あなたはここで煙草をやめるべきだ。確かに煙草を吸わなければ長生きするなんて保証はない。しかし、可能性はひとつでも少ない方が良い」

 

 

精神的な支えとしても仕事道具としても自立するための助けとしても煙草というものに身を寄せている男をそう説得する。

男は本当に不義理など働いていないというのに、彼の唯一無二の楽しみを奪う。健康診断でも問題が出ているわけではない彼の肺の未来を憂いてそう告げる。

果たしてそれは、正義だろうか。

 

 

人は言葉を口にする。

人の心は、感情は、対話をすることで繋がり、理解を得ることが出来る。

しかし、生きていれば問題には直面し、対話が困難な場合だってある。そのときに自分が出した言霊は、相手を傷つけてはいなかっただろうか。

それは本当に私の心の願いだっただろうか。

あれが真に私の伝えたかったことだっただろうか。

 

 

日々そんなことを考える。

「より善く生きること」を目標としている私の人生の今は、過去は、未来は、間違ってはいないだろうか。

言いたいだけのことを暴力的に相手にぶつけてしまったりしなかっただろうか。

 

ところで私の魂の在り方は、”善かった”だろうか。