水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

メンヘラ、生き延びる(完結編)

人と成りて泡を想う。

 

 

随分と書くのをサボってしまったけれど、私は生きている。

まだ私を苦しめていた取り巻く環境が大きく好転したわけではないが、それでも以前よりかは遥かにマシになった。今日まで生き延びられたのはそれが大きい。

 

先月の今頃はもう死んでいるだろうと思っていた。けれど、私は私を殺せなかった。私は私を守ってしまった。……私は私を、愛せなかった。

 

「頑張る以外に私になんの価値があるの」

「どうせ私は大学も卒業できなかった、脳みそに障害のある出来損ないよ」

「早く死にたい、早く死にたい、早く死にたい、私がどこに行っても誰も何も言わないでほしい、私なんかに構わないでほしい、でも死ぬ前に借金だけは返すって決めてるから働き詰めて返すの」

「24時間働いたって良い、あと10年も生きられたらそれでいい」

 

些細な違いはあれど、私はこんなニュアンスの言葉を両親と旦那さまの前で泣きながら吐いた。私を産み、どんなに困らせても愛してくれた両親を前に。私を愛し、生涯を共にすると誓って結婚してくれた旦那さまを前に。つくづく、私は出来損ないだった。

 

「あなたは自分に厳しいのね」

 

母は言った。しかし、自分に厳しく生きる術を植え付けたのもこの人と父だったとも思う。もちろん、それだけではないけれど。

 

「元気で居てくれたらそれだけで良いんだけど」

 

旦那さまは言った。しかし、ニートになってしまった私を養おうと奮闘して心を壊しかけていた時期があるのも事実だった。

 

私を守るのはいつだって私の役目で、誰かの役目ではない。そして、私を一番正しく守ってくれるのはお金だということも痛感させられた。いつだってわがままばっかりで子どもみたいな私は、この世はお金で解決出来ることが多いのだと信じて止まない。

 

けれど、それは施されるべきものでもない。私が私の体を使って私自身のちっぽけな力でどうにかすべきことだ。わかっているのに、どうして私はうまくやれないんだろう。

 

 

例えば義務教育で、お金の稼ぎ方でも教えてくれればよかったのに。そう思わずにはいられない。私には知恵も力もなくて、脳みそを制御する薬でなんとか動いている次第だ。いつまでも薬に頼るわけにはいかないので減らしてもらったところ、調子があまり良くなくなってしまった。「誰か」ではないけれど、「何か」ではある薬は、使っているとまるでズルをしているかのようにも思えてきてしまう。あの人はいつも健全なのに、どうして私はこんなものを飲んでいるのだろう。

 

 

体が資本だということは正しいと思う。だから、体の様々な部分を検査してみることにした。手始めに血液検査を。結果は金曜日に出るので、どうなるかと思っている。今まで薬を大量摂取したツケはどのような形で出るのだろうか。

間違った行いはいつか自分に、目に見える形で返ってくる。そのいつかに怯えていても仕方ない。

 

自分はどこかおかしいと気がついていてもそれを可視化せずにいられる人のことを羨ましく思う。嫌味ではなく、それは、その自分を許容出来ている証拠だと思うから。私はおかしい自分を許せない。許容できない。頑張らない自分を肯定したいとも思わない。

 

今更立派な人間になんてなれやしないけれど、もしかしたら、今ならまだ取り返しがつくかもしれなくて、だから怖い検査結果とも向き合おうと思う。向き合って、何が悪かったかを追求して、改善して、少しでも良い方向に持っていけるように努力する。それが私のやり方で、私に出来る些細なことだった。だから頑張る。たとえ「あなたは明日死んでもおかしくないですよ」と言われたって絶望なんかしない。まだ今日があるのなら、明日につながるのは今この瞬間だから。

 

 

人と成りて泡を想う。もしも死ぬなら、キッチンのシンクにゆっくりと溶けて流れていくような死に方をしたい。そんなことが叶わない程度に汚れているのは知っているけれど。