水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

12.「それでもあなたに言われたくなかった」

 年末年始は帰省をしていた。九州の実家でのんびりとしたり、友達と遊んだり、買い物に連れて行ってもらったり。基本的にはよく寝ていた。リラックスできていたのだろう、昔はあんなに居場所が無かった実家も、今ではいつ帰ろうかと考えられる程度にはなっていた。おそらく、多感な時期特有の精神の不安定さがなくなったのだと思う。

 年始は3日が金曜日で飛行機が取れなかったため、2日の夜に帰った。初めて地元の空港のラウンジに入ってお茶したり、喫煙スペースでゆったりと煙草を吸ったりして登場時刻まで快適に過ごした。

 いつもは硬めの椅子に座って充電の危ういスマホを眺めるだけだったので、新鮮な気持ちもあった。Netflixでアニメをダウンロードして、上空で観ようとしていたのに爆睡していた。我ながら愉快だ。ただ、隣のお姉さんが明らかにスマホ機内モードにしていないことだけは気になった。気になったけれど、目をつむった。(熟睡)

 家にたどり着いたら旦那と実家に連絡をいれて、実家で飲めなかった酒を開けた。強めの酒はなかったので、5%程度のものを1缶のんびり飲んでいた。LINEの通知がきたので開いてみると、叔母からの連絡だった。

 

 

 

 

 

『今日は行けなくてごめんね』

『時間が合わなくて』

『次帰ってくるときは連絡して』

『お酒飲みに行こう』

『でもお母さんには内緒よ』

『あの子、我が妹ながら怖いから』

『自分の言うことが正義、自分の言ってることが正しい』

『昔はあんな子じゃなかった』

『今はあの子と喧嘩しないのが私の生き方』

 

 叔母はFacebookの投稿から、私の退学やうつ病を知っていた。そのため、人生は道を逸れても大丈夫というような話が最初に飛んできていた。また、入籍したことも母経由で伝わっていたため、それについても自分の幸せを優先するように言われた。1行ずつ送ってくるので話が途切れるのを待つのが大変だった。

 と、そんな心配をしてくれていたはずなのに、いつの間にか母親のことをめちゃくちゃディスられていた。そして、母親がこうなったのは父親のせいだとも。つい2,3時間前まで会っていた人のことをこうも悪く言われるのはしんどいものがあった。が、叔母も酔っていたようなので、話を聞くことにした。

 叔母いわく、私の父親はモラハラパワハラな人間らしかった。そして、それを証拠に、母親が昔叔母に愚痴っていたことも聞かされた。

 

『ここだけの話ね』

『お母さん、あなたとお兄ちゃんが大学卒業したら』

『離婚したいとまで言ってたよ』

『昔の話だけど』

 

 ……。……。私の心を砕くには十分すぎるものだった。そして、思い当たる節もあった。うちの母はひっそりとモテるようなので、離婚しても行き先はあるだろう。

 ああ、ああ、ああ。兄は今年の3月に卒業する予定だ。……待てよ、私は大学を中退したんだから、卒業してないし、バグをつけるのでは? いや、きっとそんな話じゃない。ヒトの話をしているのだ。ヒトの、ココロの話だ。

 家族が離散したらどうなるだろうと考えた。考えたけれど答えは出ずに、精神だけが解離してしまったような状態になった。叔母の連絡を流して、寝て起きて忘れることにした。

 寝て起きたら忘れた。忘れた。忘れたんだ。

 

 

 

 

 

 

ひどく優しい夢を見た。

いや、ちがう。

正確には「ひどいこと」と「優しいこと」をされる夢を見た。

でも私には「ひどいこと」よりも「優しいこと」のほうがもっとひどく感じられて、起きてすぐは悲しみが深かった。

そんな風に××してほしくなかった。

あんな風に罪を押し付けてほしかった。

痛みだけを残していなくなってほしかった。

そうじゃなかったあれは、私の心を、