水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

だから僕はODをやめた

ODを続けていて死んでいった人を知っている。誰とは言わない。知っている、とだけ言う。けれど、詳しくは知らない。なんとなく、自分と事情が似ていたことだけ覚えている。ただ、私はまだ生きている。生きて、いる。

 

 

ODを繰り返していた。夏頃までだっただろうか。ネット通販で買った眠剤をガブガブ飲んでは幻覚を見たり異常行動を起こしたりして楽しんでいた。今では何が楽しかったのか全くわからない。でも、初めてODしたときの快感だけは覚えていて、「真夏に水筒やペットボトルでお茶を持ち歩くのは厳禁!!雑菌の繁殖がひどい!!」みたいなツイートを見たあとにラリった状態でキッチンで麦茶を作ろうとしていて、水出しも出来るタイプだし家でしか飲まないけれど、安全性を考えるとお湯で作ったほうが良いと考えていて、水をケトルに注いでいたときだった。キッチンにはいたるところに小人がいて、「やっぱりこの時期水出しは危ないよねー。煮沸しなきゃ」ということを言われ、まさにそれを考えていた私は「そう!そうなの!だからお湯を沸かそうとしてて……」と会話をしていた。会話をしていた。家に居たのは、私一人である。

 

周りから見てどんな感じだったんだろうなあ。これは前も書いたんだっけか。書いていたのなら読み飛ばしてくれればいい。その後幻覚はほとんど見ることが無くなって、代わりに異常行動を起こすようになった。眠剤を飲んだのだから寝るのが必然ということで寝ても、寝ているのか意識が混濁して幻覚を見ているのか何かと大声で会話をし、その声ではっと目覚めるものの幻覚を現実だと勘違いしている、というような状況が起こり、私が大声を上げるたびに同居人も私に向かって怒鳴り散らしていた。記憶にあるのは、「頼むから寝てくれ」「何を言ってるんだ」「頭おかしいんか」などであり、そう怒鳴っていた同居人は怒りと苦しみで頭を抱えていたような気がするのだが、まあ恐ろしいことに今となってはこの一連が現実だったのか夢だったのか幻覚だったのかわからなくなっている。本当は私は同居人に怒鳴られてなんかいないかもしれないし、本当に怒鳴られたのかもしれない。確実なのは、毒々しい色をした錠剤を何シートもぷちぷちと空けてザラザラ胃に流し込んだことだけだ。

 

上記のことが怖くなり、それ以降その眠剤には手を付けていなかったが、確かにあと2シートほど残っていて隠していたはずのそれはいつの間にか姿を消していたので、同居人に捨てられたのだろうと思っている。……それが真実なのであれば、上記のことは現実なのだろう。

 

 

その薬でいわゆる「ラリる」ことが出来なくなってきてからは、別の薬に手を付けていた。買って20錠くらい飲んでみたのだろうか、頭がぶわぶわとして眠気がひどく、しかし体全体がふわふわとしてきてとても心地よかった。効くのに1時間程度かかるが、その後重めの倦怠感が来て呂律が回らなくなり、特に私の場合は健忘がひどくなった。友人と通話していて、1行分くらいの話をしている途中で何を話していたのかわからなくなるどころか話していることがその瞬間に頭に浮かんだ話題にいつの間にか切り替わっていて、自分でもそのことに気がつく度に友人に「ごめん何話してたのかわからなくなった」と伝えていた。けれど、ラリって通話するのはひとりじゃないし生きている苦しさからも解き放たれるのでやめることが出来なかった。

 

 

要するに生きていることがつらかったのだ。このODに関しては同居人は知らないと思う。少なくとも、ラリっていることはわかっても、何の薬でラリっていたのかは知らないと思う。そうであってほしい。

死んだらどこに行くのだろう。どうか、ひとりぼっちの地獄であってほしい。私を痛めつけるものばかりであってほしい。それならば、許されている気がして安心出来るから。

 

 

ODをやめた理由は特になくて、多分身体に耐性がついてきて少量じゃラリれなくなってきたこと(普通に考えると20錠は少量ではない)、コスパが悪いこと、健忘が激しくなって日常生活に支障をきたしていたことあたりが重なった結果な気がする。せっかく仕事を手に入れたのに、一行動を取ろうと二段階目の作業に移る瞬間、自分が何をしようとしていたかを思い出せなくなる。しばらく考えてみても答えが出ないので、仕方なく別の作業に移る。途中で思い出す。思い出した作業に戻ろうとする。また忘れる。仕方なく元やっていた別の作業に戻る。何をしていたか思い出せなくなっている。ため息をつく。こんな単純作業にどれだけ手間をかけているのだろうか。確かに時給制のアルバイトなのだから働く時間は長いに越したことは無いが、そんな自分に納得できるはずがなかった。だから、少しでも健忘を止めたくて───もっと言えば、”大丈夫”になりたくて、私は処方された薬のみを処方量以下でしか飲まなくなった。

 

 

「明るい未来」の話をしようと思う。いまのところ、一番考えたくない話題だ。

これから先、普通のレールに乗るのであれば、結婚して家庭をもって子供を授かって……といくのであろう。散々普通から外れてきた私がそんなレールに乗れるのだろうか。そんな幸せそうな道のりを慢心して歩く自分を許せるだろうか。いや、無理だ。

 

よく言われる。「結婚の予定は?」と。「まだ考えていません。正社員になりたいですし、大学もちゃんと卒業し直したいです。大学だけじゃなくて、私はまだやりたいことがたくさんあります。だから、金銭面でも結婚は考えられないです」と答える。「それに、今のまま結婚したんじゃなんだか逃げているみたいで嫌なんです」付け加える。「逃げちゃえばいいのに」とあるおばさんが言う。私はその言葉に救いなんかひとつも感じず、ただひたすらに怒りを覚えた。テーブルの下で拳を握りしめた。

怒りを覚えたのは、現状ですら自分だけでは生活できておらず、同居人の扶養と家族カードに助けられているからで、つまるところすでに「逃げている」状態だからだ。逃げるな。逃げるな。これは私の人生だ。そんなつまらない人間になるために生まれてきたんじゃない。早く、早く大丈夫になりたい。誰が居なくなっても、何が無くなっても。ひとつ欠けただけで破綻するような生活から脱却したい。

 

 

力及ばず願い叶わず、道中で私が野垂れ死んでいたら、そのときは「馬鹿だな」と指さして笑ってほしい。痛めつけてほしい。何なら、死体を蹴飛ばしてほしい。そうやって痛みを感じてこそ、私は自分の人生を、生存を、許していける。だから本当は、地獄で逢えてもキスなんかされたくない。ただただ私を拷問してほしい。そしていつか痛みが愛に変わったら、また逢いに来てほしい。