水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

百万人に愛されてもあなたに愛されないなら死んだ方がマシ

目の前で人が飛び降り自殺を図ろうとした経験って、みんな結構あるのだろうか。私はつい先日経験した。同期と機材をいじりながら喋っていたら、後輩の女の子が部屋から飛び出してきて、同期をどついたかと思うと、彼女は勢いのままにベランダに飛び出し、足をかけた。

 

「どうせひるんで飛び降りれないでしょ」と思えたら楽だったのかもしれない。けれど、私は彼女がベランダの壁に足をかけたとき、一瞬ひるんだものの前に体重をかけているのが見えた。フリルの多い格好をして、厚底ブーツを履いていた可愛らしい彼女は、たかが3階の高さでは死ねないなんていう判断能力すら失ったままに勢いだけで飛び降りようとしていた。どのタイミングで私が彼女に駆け寄ったかはあまり覚えていない。ともかく彼女を止めなければという思いと、同時に「下手に前に体重をかけるとむしろ彼女を落としてしまう可能性もあるし、私が落ちる可能性もある」なんて冷静に考えていた。なにせ、彼女は厚底ブーツを履いていたのだ。そのまま滑って誤って転落してしまってもおかしくはない。後から考えると、どうしてあの一瞬でここまで頭が回ったのかはわからなかったけれど、ともかく私は彼女に駆け寄り、彼女の両脇に両腕を突っ込み、片足はベランダの壁を蹴る形で、もう片足は彼女を受け止めるために地面で踏ん張る形で止めた。文字に起こすとなかなか滑稽で伝わりにくいものだ。なんとか引き止めた私は、彼女をベランダにあった小汚いテーブルに座らせて、身動きが取れないように強めに抱きしめた。

 

 

「私は!××くんに愛されないくらいなら!!死んだほうがマシなんです!!!」

 

 

彼女は大声で泣きじゃくりながらそう叫んだ。××くんは彼女のひとつ下の後輩、すなわち私の2つ下の後輩だった。そうだね、と言いながら撫でることしか出来なかった。××くんは彼女を愛するつもりは無い。どころか、彼女の好意を迷惑そうにしたり、これ見よがしに後輩の女の子を可愛がったりする。気が狂うよね、わかるよ、と思った。思ったから、言った。

 

どつかれた同期は感情の制御が利かなくなっている彼女に罵倒され続けて(どうやら、同期の悪意の無い行動で××くんが他の女の子とくっつきかけたらしい)、後で愚痴を聞いた。いや俺なんにも悪いことしてないでしょとぶつくさ文句を言う同期に、君は本当に悪くないけど、君が彼女に文句を言ったところで彼女はそれを攻撃と捉えてもっとひどいことになってしまうから、本当に可哀想で申し訳ない立場に置かれているとは思うがここで愚痴るにとどめておいてくれ、と言った。同期は不服そうだったが、このときは他の同期と一緒に食卓を囲んで私の引っ越しの食料消費のための料理を美味しそうに食べてくれて、そのあと夜までスマブラをみんなでワイワイしたことでそこそこ解消されたようだった。よかった。

 

後輩の女の子の話に戻ろうと思う。彼女は感情の制御がうまく出来ない。一言で表すなら”メンヘラ”だが、そんなことは本人が一番理解していると思うので、彼女に攻撃されたわけでもない他人がそう呼ぶのは烏滸がましいと思う。

 

「渡したプレゼントも使ってくれてないみたいだし、でもわかってるんです。こんなの一方的な好意の押しつけなんだし、私は今彼女じゃない。でも、でも、私が一方的に愛を送って、それを流してひとつも返ってこずに後輩の女の子を可愛がって……そんなの、そんなの耐えられないんです」

 

ごめんね、と思った。その日はサークルの稽古で力仕事もある日だった。彼女の様子が明らかにおかしかったのは見て取れたが、力のある男性陣が少ない中で私は後輩に指示を出しながら力仕事をしないといけなかった。彼女のメンタルをケア出来る人はおらず、どんどんしんどそうにしている彼女を見て見ぬふりしているしかなかった。「きつかったら、今日は帰っても良いんだよ」の一言くらい、先輩としてかけてあげるべきだったのだ。それを怠った結果、彼女は爆発して同期も被害を被った。

 

恋心というのはどうしようもない。彼女は冗談のように「お金が必要なんです」と言っていた。生活に困っている様子も無いのにお金が必要、そして振り向いてくれない好きな人がいる。とてもきつい既視感のある光景だった。きっとどうやったって××くんはあなたを愛さないよ、と言いたかった。でも、言えるはずが無かった。かつて私も色んな人からそう言われて、それでも好きだから繋ぎとめていたいと限界まで貢いでいた。ブラックジョークにもならない。その恋心がどうにか出来るのであれば、彼女はとっくに自己研磨だったり他の人に気移りだったりしている。××くんは結構クズで、彼女の好意を拒否はしない。ああ、これにも覚えがある。

 

「虚しいよね。でも好きな気持ってどうしようもないし、好きだからこっち向いて私の方を見て欲しいし。そのために頑張って貢いだところで他の女とご飯に行かれたりするし。嫌いになれればいいのにね」

 

彼女の髪の毛を梳きながら、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。私に出来るのは共感と同情だけだ。彼女が助かるには、彼女自身が変わるしか無い。彼女は私の言葉に少し驚いたようで、私は淋しげに笑ってみせた。そのあたりで彼女は泣き止んでいて、落ち着いてきていた。本当、どうしようもないよね、と笑いあった。すると彼女はため息を吐きながら、「早くイケメンな後輩が入ってきてほしいです。私、面食いなんですよー」と言った。私はなんだか笑ってしまって、ツッコミどころはたくさんあるが野暮なことはやめようと思って、「そうだねえ、王子様みたいな人だといいねぇ」と言った。

 

「さて、おいで、お姫様。君にそんなところは似合わないから、戻ろう?」

 

彼女の左手を引いて、小汚いテーブルからおろしてあげた。彼女は軽い身のこなしでテーブルから飛び降り、私に「ありがとうございました」と言った。そのまま部屋に戻る。

 

 

 

 

後日、彼女から長文のLINEがきた。今まで自分勝手にしていてすみませんでした、これから改善していきますといった内容の。私の同期は長いこと彼女のメンタルケアをしていて(同期は男性だが、決して男女の関係だったとかではない)、結構前に愛想を尽かして突き放していたらしい。それでも尚頼ってくる彼女のことを少し怒ったところ、私たちにLINEをしてきたようだ。色々考えて、私のことは本当に気にしなくて良いけど、私がいなくなった後に君の居場所が無くなるのが心配だから、人に八つ当たりする以外で発散できる方法を見つけるだとか、落ち込んでいるとかで具合が悪いときは遠慮なく相談してくれという旨を伝えておいた。私は本当に気にしておらず、どちらかと言えば彼女が彼女の同期と仲が良くないというのが一番心配だったのだ。結局、先輩たちは卒業するし、後輩たちも後輩だから、最後には同期なのだ。これは、私たちの代の学びでもある。そう告げると、彼女からは丁寧な返信がきて、私はスタンプを押して終了した。

 

 

つい先日、演劇の稽古の出欠の変更に、彼女が「今日は落ち込んでしまっていて稽古に参加できる状態じゃないのでお休みします」と書いていた。彼女がそんなことを書くのは初めてだったので少し驚いたけれど、同時に嬉しくもあった。人は変わる。変われない人もいる。彼女は変わることが出来る人だった。色んな課題は山積みだと思う。彼女の感情の激しさや、依存の深さ、エトセトラエトセトラ。けれど、それは彼女自身が見つけていくべき道で、私が提示出来るものは提示しきったつもりだ。私が自分のどうしようもなさとどうすべきかに気がついたのは2年前の夏。彼女はまだひとつ下で、だから、思慮する時間は多分にある。考えて、考えて、考えてほしいな、と思う。そしてそうやって出した結論に間違いは無いと思う。間違っていたら、また考えて直せば良い。人生のルートはひとつだけだから、実際のところ、間違いかどうかなんてナンセンスなのだ。そうやって私も考えていこうと思った。明日の私は今日よりも格好良く、今日の私は昨日の私よりも可愛く。実践できればと思いながら、今日も赤い口紅を零した。