水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

The show must go on.

誰にもわからない気持ちはこの世にはあって、それを理解できてしまったとき、どうしようもないからとても苦しいよな、と思う。

大丈夫だよと言い聞かせて、どうにもならない不満と不安を食い尽くして、びっくりするくらい何も残らなかった。少しばかりの高揚感は自分の失敗による罪悪感と共に消えて、達成感も何もなかった。私は本当にあの公演に参加していたのだろうか。主要メンツはほとんどみんな涙を流していた。私は驚くほど無感情で、虚無で、強いて言えば終わったことへの安心感しか無かった。寂しくもない。

私は主要メンツではなかった。それでも、「主要メンツ」という体裁だけはあった。だから、真ん中の方に集まって笑顔で写真を撮った。なんだこれ、と思った。

 

会場のバラシを終えて打ち上げに行く。みんなみんな泣いていた。そりゃそうだ、卒業公演。もう私達はこのサークルから消えるし、うん。私は卒業しないけれど、居なくなるのは同じだ。でも本当に寂しくはない。なんかいたたまれないなーみたいな気持ちだけで酒を飲んでいて、そのせいで2件目では吐いたことしか記憶がない。確認してみたけど、余計なことは言っていなかったようなので安心した。

 

不満をぶつけたらなんとかなったのだろうか、と思った。違うな、とも思う。あの脚本において私が宛てられるとすればこの役以外無かっただろうと思うし、脚本の性質上、私の役に私が満足いくまでの尺は与えられなかったと思う。それこそ、あとからされた主要なキャラの補填は十分だったと思うけれど。

 

嫌な役回りだったな。実際、観たお客さんから嫌なキャラだったという意見もあったらしいし、唯一体を思いっきり張った部分のくだりについて、「それいる?」とかも書かれていた。ハイって感じだった。観に来てくれた知り合いの中には私の役に同じように疑問を感じてくれていた人もいたけれど、それは知り合いだったからというのもあるだろう。

 

最後の最後でこれかあ。でも何というか、嫌になるくらい自分の人生という感じがして物悲しくて、今はみんなの顔も見たくないような気持ちだ。それでも、脚本段階から私と同じように気に食わないと思ってくれていた人はいたので、その人になら会っても良いかもしれない。いや、もう引っ越したから埼玉まで行くことも無いと思うけど。

 

大人にならなきゃと思う一方で、大人になれない自分が暴れていて、でももう本当にどうしようもないことだからなと冷えた頭と暴れる心が身体を揺さぶっている。虚無感と言うか、よくわからない。また何にもなれなかったことだけはわかる。

 

"The show must go on."という文章が好きだ。劇はどんなことが起きても進めなくてはならない。終わった劇はどうなるのだろうか。”終わった劇”になるだけだな。終わった。終わってしまった。終わってくれてよかった。苦しかった気持ちは無くなった。でも、今は舞台へのロスとかそういうのではなく、本当に虚無に包まれている。あまり文句を言ってしまうと足を運んでくれた人にも失礼なわけで、やはり心のうちにしまっておくことにする。

 

 

 

「日本語の句点は英語のピリオドよりも終止性が遥かに強い」と教わったことがある。それは、裏を返せばピリオドのあとにはまだ何か期待できるということなのだろうか。それとも、これはあまりに都合の良すぎる解釈だろうか。だとしても今は、せめて今は、ピリオドの向こう側に期待したい。

 

The show must go on.

Next show is,