水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

青春っぽいから殺してくれ

悩みが多くて心底ダルい。しかも主に、というかすべて人間関係というのがかったるい。

 

大好きな演劇で大好きな同期と大好きな後輩が密かに衝突している。私の情けなさが原因でもあるのだが、私が下手にどちらにも干渉してしまっているせいでどちらの立場の意見も気持ちもわかってしまうから、どちらが悪いともどちらが正しいとも言えず、間に挟まっていて、自業自得なのにしんどくなっている。理解と共感は違うのだから、私が勝手に他人に対して感情移入しているだけの話なのだけれど、感情移入しなかったところで状況は変わらないのであって、私が困った立場にいることに変わりはないのであった。

どうしようかな。同期が一番大事なのは変わりないし、同期も私が後輩の方にもいい顔しても嫌な顔はしないけれど、自分が保つかもわからない、というか時期的に引っ越しもしているだろうから今以上に破綻するのが目に見えているし、でも欲張りだからやりたいことは全部やりたいし、……。

ここにあるのが自分の体力だけの問題であればもう少し躊躇はしなかっただろうけど、他の人間関係のこともあってかなり躊躇われる。やりたいことをやるのに他人の存在が障害になってしまうのも厳しいが、何よりも甲斐性も時間も無いのが悲しい。身体が引きちぎれて分裂すれば、甲斐性も増えたりしないだろうか。しないのだろう。嗚呼。

 

 

先日、事故のような現象で、3年ほど前に送られてきてきたメッセージを発見した。そして、変わることが出来る人間は変わることの出来ない人間よりも遥かにマシなのかもしれない、と思った。よくもまあ同じような思考の堂々巡りを5年近くも繰り返せるものだな、と。思考の堂々巡りをさせている根本の原因は私だと相手は言うけれど、私はもう何年も前に特に人に迷惑もかけずに立ち直っているのに、いや、迷惑はかけた、かけたが、つらさの原因になった張本人を頼るようなことはしなかった。それを私に頼っているような人間だから私が耐えかねて離れていったことにもまだ気が付けないのだろうか。今年もメッセージがきていた。というか、年単位くらいでありとあらゆる方法を駆使して連絡がきている。インターネットをやめない限り、私にこの人を記憶から削除することは許されないのだろうか、とさえ思う。どうでも良いから鬱陶しいだけ。嗚呼。

 

 

稽古が終わって帰宅しながら、ふと体力が残っているから晩ごはんに肉野菜炒めを作ろうと袋入りの野菜炒めを買いに近所のコンビニに寄ったら売り切れていた。ので、以前働いていたスーパーまで足を運んだ。お目当ての野菜炒めセットは見当たらなかったが、半額になっている寿司を見つけた。特段寿司が食べたい気分でもお金に余裕があったわけでもないけれど、そういえばここで働いていたとき、半額になった寿司に群がる人間を見ては「貧民どもめ」とほくそ笑みながら日に日にきつくなっていく仕事をこなしていたよなあ、なんて思い出す。そうでもしなければストレスに耐えきれなかった。ストレスがマックスになったから辞めた。

スーパーで働いてみるまで、まさか値引きをマニュアルこそあれ、ほぼバイトの裁量で値引き額を決めているとは思ってもみなかったし、自分がその判断を自然と出来るようになっていくとは思ってもいなかった。そしてもうそんなことをしていたのも1年以上前になる。すごいな。たった1年なのに、あの頃の私はあんな仕事をこなせるほどの体力があったのだな、と思う。エネルギー源が無くなったから、精魂尽きて鬱拗らせてぶちやめてきたわけなのだが。

半額シールを貼るときは、最後まで売れないとき。最後まで売れなかったお寿司がどうなっているのか、私は知らないままバイトを辞めた。次の日の朝番が廃棄しているのか、はたまた朝のうちに売っているのか。そんなことはどうでもよくて、ただ、売れ残っているお寿司が早く売れてくれないかとだけ思っていた。なんてことを思い出して、最後のひとつとして取り残されていた握り寿司を買った。今日も今日とて不健康だ。嗚呼。

 

 

 

ドラマの「昼顔」を見ている。胸が苦しい。

叶ってはいけない、叶うはずのない、そんな恋がもしも万が一にでも叶ってしまったとき、私ならどうするのだろうか。わからない。恋愛対象に出来る相手が星の数ほどいたとして、その星が私のもとに落ちてくる可能性はどれくらいなのかと思うと、おそらく私はその星の煌めきを手放せないだろう。誰に何を言われたとしても、思われたとしても。それでも、それでも私はもう、好きな人を遠くからでも見つけられるようにいつも眼鏡をかけるようになったりしない。今の私の眼球には、文明の利器が張り付いているから。それに、私はもう、恋愛感情に振り回されたりしない。好きだとすがりついたりしない。生きている人間にそんなことを強いるのは残酷で浅慮すぎるから。ただただみんなに幸せであってほしい。それだけだ。私は私だけで幸せになる、私のことは私が幸せにしてみせる。

 

人肌が恋しくなるのは、寒いからではない。それはひとえに、人肌の温かさを知っているからである。抱きしめられている安心感と、愛されている充足感と、体の境界線が曖昧になりそうなあの温度を、思い出せはしなくとも身体が覚えているから。心のどこかに穴が空いたとき、そして、冷たい風がガードを剥がして心の弱い部分をむき出しにしたとき、擦り切れそうな自分から身を隠すために他人の存在が恋しくなる。

誰かの存在を求めてしまう自分に嫌気が差すし、自分の弱さを認められない自分にも鬱蒼とする。好きな人と温め合えば温め合うほどに寂しさが募っていくから、冬は嫌いだ。いっそ私の身体が溶けて、あなたのそれとひとつになってしまえればよかったのに。嗚呼。

 

 

悩んでいることが完全に高校時代のそれで、嫌になる。セーラー服を着てみても、私は"青春"に帰れない。帰れもしないし、還れもしない。私がセーラー服を着ていたのは中学時代で、私の思う"青春"は高校時代だからだ。けれど、高校時代の事務員のような地味を極めた制服を着たところで、私の青春時代は取り戻せない。あの人に恋をしていた自分は戻ってこない。戻りたくもない。

ガラス細工、なんて強いものではない。まるでシャボン玉だ。勝手にふつふつと思い起こして、触れようとしては弾けて消える。見つめてみると、ギラリと怪しく誘うように輝く。これだけ私の目を奪う癖に、刹那的に消えていってしまう。なんて無責任で、取り返しのつかなくて、儚くて、美しくて、心にこびりついて離れない、……。

 

別に死にたいわけではないけれど、青春っぽいから殺してくれ、と思う。

本日の死因は、遅れてやってきた思春期ってことで、一丁頼むよ。