水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

メンタルクリニックに行った

嫌な気持ちになるくらいなら、このエントリは読まなくて良い。別の面白いエントリにでも目を通してほしい。

 

 

 

経緯のような自分語り

 

私はきっと何者にもなれなくて、このまま何も成せなくて、ただ死んでいくだけなのだろう。出来れば早く死にたくて、本当に早く死にたくて、何とか去年の誕生日あたりに「せめて40歳までは生きよう(奨学金の返済があるため)」なんてゆるりと決意して、そのあと人生で一番の挫折を味わって、一刻も早く死のうとした。

 

人間は死ねない。びっくりするくらい死ねない。首を吊るにも家の中には人間1人分の体重に耐えうる設備は無いし、トラックに突っ込むと何の罪もない運ちゃんを前科持ちにさせることになるし、半端な高さから飛び降りても意外とクッションになるものはある。そして何より最悪なのは、死ねなかったときだ。死ねずに身体的な障害だけ残ったりしたらと考えると、下手な死に方を選ぶことなんて出来ない。

 

 

そんな感じの希死念慮と、かれこれ5年以上戦っている。戦っていた、と過去形にするにはまだ早すぎるだろうと思う。これまでの人生、大して努力なんてしてきただろうか。よく覚えていない。中学校が大嫌いで、同じ学校の人間がほとんど来ないレベルの高校に背伸びをして受験をして、なぜだか合格して、どんどん落ちぶれた。大学受験は失敗して、1年間浪人して関東の平凡な大学に何とかねじ込んで、今はそこで無を過ごしている。おそらく、ストレートでの卒業は出来ない。

 

大学を辞めたい、と親に伝えた。本当は8月末に帰省したときに直接伝えるべきだったのだけれど、もしも実家に閉じ込められたりしたら、と思うと怖くて言えなかった。だから、ビデオ通話で伝えた。卒業は出来ない、大学に行くのがしんどい、だから辞めたい、と。大学を辞めたいと思ったのは初めてではない。1年生の頃から薄々自分が大学という機関に向いていないことに気がついていたし、2年生の頃には研究室の教授との相性が悪すぎて入って2ヶ月ほどで1週間近くベッドから起き上がれなくなり、研究室をドロップアウトした。その頃から明確に大学を辞めたいという意思を持ち始めていた。

誰にも言えるわけが無かった。1年も人よりも余分に時間とお金をかけて苦労して入った大学を辞めて、どうするのだろうか。最終学歴が高卒になって、新卒カードも無くて、それで?

私は普通科高校卒なので手に職があるわけでも無いし、Twitterによくいるオタクのように趣味でプログラミングが出来るとかそういうわけでもない。本当に、何も持っていないのだ。だからこそ、この世で一番大切だった人が私に与えてくれた「演劇」というものに、私はのめり込んで逃げていた。

 

 

 

「努力不足だ」、「綺麗事で逃げるな」、「やり方が悪い」と言われた。それと、「つらいのはお前だけじゃなくてみんな同じ」とも。その通りだと思った。私は学費を自己負担しているわけでも無ければ、仕送りももらっている。恵まれている。まあ、私からすればだから何だという話でもあるわけだけれど、それはきっと禁句で、心にしまいこんでおかなければならないことなのだろうと思う。

努力ってなんだろう。講義を受けるために入った教室に、講義の時間が近づいてくるにつれて人の数が増えてきて、それに伴って吐き気を覚えて講義室を飛び出したり、私がドロップアウトした研究室の教授の講義が必修で、声を聞くのすら苦痛であったり、そんな次元にいるわけだけれど、それを我慢して頑張って講義を受けるのは努力なのだろうか。いや、きっと美しき努力なのだろうと思う。そして私にはその"美しき努力"をできるだけの……、……、何が足りなかったのだろうか。根性? 気合? それとも、私の知らない言葉で表現できる何かがあるだろうか。ここでは、便宜上「リソース」と呼ぼうと思う。

 

 

足りないリソース、迫りくる現実、私の気持ちをまるで解さない両親。何とかしてくれそうな人はいたけれど、私はその人の手を取ることも躊躇った。両親という人間に頼った結果が今なのに、それを他人にしたところで何が変わるというのだろうか。罪悪感と義務感が増えるだけだろうと思って、お茶を濁して笑うか泣くかしか出来なかった。

 

「留年しそうだから辞めたいと思っているんじゃなくて、2年生くらいからずっと辞めたいと思っていた」と告白したとき、母は「じゃあ何でその時言わなかったの」と言ってきた。「言えるわけがない」と返したら、「だったらそのまま言わずに卒業して、卒業した後にでも言われたほうがマシだった」と言い放った。それを聞いたとき、私は、あぁこの人は本当に私の気持ちなんてどうでもいいんだな、と思った。そして聞いた瞬間にすべてがどうでも良くなって、さっさと通話を切りたいとしか考えられなかった。両親は「大学の相談室に行け」「履修登録をしろ」といったことを言っていたが、私はそれにすべて「嫌です」「もう大学に行きたくありません」とだけ答えて、そのうち「もう話せることは無いので通話を切ります」とだけ言って通話を切った。

 

 

このときにはもう完全に無気力で、「退学届なんて最悪両親の承諾が無くても出せるものなのに、それをわざわざきちんと相談している意味なんてわかっていないのだろうなあ」なんて考えながら、眠りについた。何度も目覚めて、眠気も疲れも取れないうちに朝が来た。

 

 

昔、父親の前で「そんなこと言われたら鬱(な気分)になる」と言ったら、「本当のうつ病の人に対して失礼だ」と叱られたことがあった。きっとこの人は私が希死念慮に苛まれているなんて夢にも思っていないのだろうと思う。知り合いの通っていた大学の学生寮練炭自殺が起きたというニュースが流れていたときに、「死ぬくらいなら大学を辞めればよかったのに」と言っていたこともあった。この人は私の亡骸を見ても同じことを言うのだろうか、と少し思った。

 

 

何事にも前向きになれないというのはほぼ日常だったので気にしていなかったけれど、ここ数ヶ月は感情の波が激しくて結構しんどかった。将来のことを少し考えただけでひどく気持ちが落ち込んだり、何事に対しても期待を持てなかったり、何よりもつらかったのは、本当に些細なことで怒りを感じて人に強い口調を向けてしまったことだった。理不尽にキレられた人が一番つらいのはわかっている。けれど、些末なことでも感情が0から100に振り切れてしまうこのコントロールの出来なさが歯がゆくて申し訳なくて、その罪悪感が更に気分を落ち込ませた。

 

 

しんどさが極まっていると、人は動けなくなる。動けなくて、ただお金は必要だから無心でバイトだけは行って、解決しない問題に対して日に日に気持ちが重くなっていって、その他のことは何も出来なくなった。ある日親から1日中たくさん電話がかかってきたけれど、それをすべて無視してずっとベッドの上にいたりもした。

 

それで何かが解決するわけではないことはわかっていた。だから、せめて親に自分のつらさをきちんと病名として突きつけられないかと思い、心療内科に行こうと決意した。最初に予約をしたところは初診が1ヶ月以上先だと言われてしまったので、少し家からは遠いが常時初診を受け付けているというメンタルクリニックを訪れた。

電話もせずに突撃したにもかかわらず、20分も待たされないうちに呼ばれ、自分の状態を淡々と聞かれた。大学生活がうまくいっていないこと、両親との不和があること、数年前から気持ちの落ち込みはあったことなどを話すと、むしろ先生の方からこういう症状は無いかなどと聞かれて、あるかないかで回答させてくれた。

 

 

結論から言うと、私の病名は「不安障害」、「自立神経失調」、「反応性うつ状態」らしい。スルピリド錠という胃炎にも効く精神状態改善の薬を50mg、トフィソパム錠という自律神経を整える薬を50mg、フルニトラゼパム錠という眠剤を1mg処方された。寝付くことは出来るが中途覚醒が激しいと話したら、サクッと眠剤を処方してくれた。

 

それから、両親に見せるように診断書がほしいという旨を伝えたら、両親との不和がストレスの一因であるという文言を強調するような文章を書いてくれた。まあ嘘は書いていないわけだけれど、診断書ってそんな簡単に融通の利くものなのかよと思った。それから、昔から悩んでいた、「一定以上のストレスがかかると喋れなくなる」という症状を話したら、「それは失声ですね。自律神経の乱れによるものです」とあっさりと言われた。両親から叱られているときに返事が出来なくなって、そのことで更に怒鳴られることが多々あったので、わざとではないということが証明されてほっとした。そして処方箋をもらって、薬局に行った。

あまり関係ないけれど、病院の前でおばあちゃんが警察に囲まれてぐったりと喋らず動かず座り込みをキメていたのがとても限界な感じがした。私がメンタルクリニックに隣接している薬局に行こうとしたら、今度は立った状態で薬局のドアにもたれかかっていて勘弁してほしかった。警察のおじさんたちもいい加減苛立って怒鳴り気味だった。

 

薬局で処方箋を渡して、お薬手帳を提出する。ここらへんまでは普通の内科での処方とあまり変わらない。違ったのは、お薬の説明を入念にされたことだった。薬剤師さん曰く、先生が私に飲んでほしいと思っている薬はもっと上の段階のもので、今日処方するのは階段の一段目なのだと。また、眠剤はどの程度効くかわからないから、次の日に予定が無い夜にとりあえず飲んでも良い最高数(私の場合は2錠)飲むように言われた。1錠じゃないのか~と思っていたら、「1錠だけ飲むと中途半端に効いた場合2錠飲んで大丈夫かがわからないから、最初は2錠で。効きすぎて午前中眠気に襲われるとかがあれば1錠に減らせば良いからね」と言われてなるほどとなった。2年くらい前にマイスリーを飲んだことがあるけれど、それほど効かなかったからあまり期待はしていなかった。

 

 

 

現状

スルピリドとトフィソパムを初めて飲んだときは体に倦怠感が現れたが、2回目以降は特に身体的変化は無い。しかし、精神面にはきちんと効果があるようで、とりあえず今は希死念慮が欠けている。そして、人に対して些細なことで苛立ちを覚えて怒鳴るようなことも少なくなった、と、思う。これに関しては私が怒鳴り散らしていた人に聞いてみないと客観的な事実は得られないと思うが、体感としては減ったと思う。それと、穏やかな気持ちでいられることが増えたし、疲れていても以前よりも動ける。あとは、プラスの感情を感じ取ることが以前よりも出来るようになったと思う。「嬉しい」だとか「楽しい」だとか「愛しい」だとか、そういうもの。以前は幸福に対する感度が低い割に不幸なことへの感度は落ちなくてつらさばかりを感じていたし、関わりのある人全員と縁を切って一人になりたいと強く考えていたが、今はその気持ちも緩和された。

 

眼前の問題が解決したわけではないが、少なからず眼前の問題に対して絶望で頭を曇らされたり、感情が荒れて何も考えられなくなったりすることは無くなったし、建設的な考えを持てるようになった。具体的に言うと、時間がかかってもこの方法なら卒業できるかもしれない、などと少し前向きになりつつある。まあまだ後期に入ってから一度も大学に行っていないわけですが……。

 

それから、眠剤がよく効くので、深夜の中途覚醒もほぼ無くなって、次の日の疲労感が軽減された。薬剤師さんが、「眠剤に頼らないと眠れなくなるのが怖くて眠剤を減らした結果、精神安定剤の処方量が増える人がたくさんいるが、それでは本末転倒なので眠剤をもきちんと飲んでほしい」ということを言っていたし、良質な睡眠が取れるのは嬉しいので引き続き飲む。効かなくなるのは怖いけれど、来るかわからない未来の心配をするよりかは、現状を改善して未来に繋がる進捗を出したほうが良いだろうと思う。

ただ、どの薬の影響なのかはわからないが、薬を飲むと妙に喉が乾いて水分を多く取るため、深夜にお手洗いで目覚めることだけは避けることが出来ていない。致し方ない。

 

 

何というか、私は"うつ状態"という診断を受けたものの、うつ病というわけではないし、もっとつらい人はたくさんいると思う。思うけれど、「他人もつらいからといって自分がつらくていいわけではない」というのが私の持論なので、頼れるものには頼っていいと思う。自分のつらさは自分にしかわからない。同じ傷でも平気な人もいればとても痛く感じる人もいる。だから、自分の中にある架空の「自分よりももっとつらい人」と自分を比較して、自分を責めることなんて無いと思う。ダラダラと自分語りをしてしまったけれど、もしも今つらくて仕方ない人がいたら、この部分だけはどうか伝わってほしい。(ただ、少なくともメンタルクリニックは薬による治療なので、話を聞いてほしい場合はカウンセリングを別途手配する必要があると思う)

 

 

明日、というか今日、再診に向かうので、薬や診断がどうなるかはわからない。また変化があれば書いてみようかと思う。