水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

平成最後の夏に愛を込めて

24日から帰省している。前回帰省したのが1年近く前なのだから、本当に親不孝者だと思う。両親は何も言わないが、その分祖父母や叔母たちから「帰ってこないから顔を忘れる」だとか「お前はすっかり東京の人間になってしまった」だとかチクチクと嫌味を言われることも少なくはない。前者に関しては加齢に伴った脳機能の衰えが原因なので帰っていない私が悪いけれど、後者に関してはよく意味がわからない。そもそも私が住んでいるのは関東圏ではあっても都内ではないわけだが、首都圏から遠く離れたエリアに根付いている人間から見れば全部同じなのだ。言っても理解しようとしないので仕方ない。

 

 

「1年ぶりの帰省」というところから察してもらえると思うけれど、私はなるべくなら地元に寄り付きたくないと感じている。色々なことが苦しいから。だからこそ高校を卒業して地元を飛び出して、簡単には連れ戻しに来れないであろう地域まで身を運んだし、これからもそこで静かに生きていくつもりだ。

よく、「どうしてそんな遠いところから来たの?」と聞かれるが、この質問は非常に胸が苦しくなる。きっとこんな話をしても理解してもらえないし、この人の私を見る目が変わってしまうかもしれない。大抵は「ライブに行くのが趣味で、そのためには関東に住んでいるのが一番だったから」と言ってお茶を濁すけれど、地元に禍根があることを知らない人から(知っている人でさえも)は季節の節目に帰省の話を振られるし、帰省をする、と言うと「親御さんはきっと喜ぶね」と何の悪意もなく言ってくる。

いい加減慣れればいいのに、と自分でも思う。こっちに出てきてもう4年目になるので、もうこの手の話は腐るほどされた。それなのに、される度に律儀に傷ついている自分がいて非常に鬱陶しい。親不孝者の名を背負う勇気もなかったのに、中途半端に行動を起こして私はたくさんのものを失った。そして、今はとても人生に行き詰まっている。

 

 

 

どうすればうまくいったんだろうなんて、考えるだけ無駄なのだと思う。私が悪いということに対して否定は述べないけれど、それでも、私が苦しく感じていたのは私だけが理解している事実だから。こちらに来てから、親とは以前よりも関係性がよくなっているとも思う。だからこそ、私達は”ひとつ屋根の下”という距離感ではうまくできなかったのだろうとも理解できる。

 

 

例えば、実家には私の部屋が存在する。けれど、部屋のドアを閉めることはほとんどない。帰省していて冷暖房を入れるときは許可されるが、少なくとも実家に住んでいたときは部屋のドアを閉めることは許されていなかった。私の部屋が玄関から一番近く、ドアを閉めると玄関が暗くなるからという理由だったが、おそらくは部屋の中が不可視になってしまうのを防ぎたかったためである。ドアを閉めてはいけないことに関して再三抗議したけれど、「何かやましいことをしているのか、していないなら開けていても問題ないはずだ」と言われて押し切られた。あの頃はうまく反論ができなかったが、思春期の子供のプライバシーを完全に奪い切るというのはいかがなものかと思う。やましいことをしていなければすべてを開けっぴろげにできるはずというのはかなり暴力的な理論だと思うし、実際めちゃくちゃ苦痛だった。私は中学生の頃から親とうまくやれていなかったため、部屋に近づいてくる足音がすると何か怒られるのではないかと身構えてしまっていた。ドアを開けたままにすると足音がモロに聞こえるため、自宅に落ち着ける場所は無かった。

 

他にも、私は親の意向で色んな予備校などの模試を片っ端から受けていたけれど、これの結果が返ってくるのが苦痛だった。返ってきたら親とのお話タイムが始まるからだ。大体いつも午前2時くらいまで話が長引き、私は正気を保てずにヒステリックに泣いていて、親はそれを叱っているという地獄が展開されることになる。模試が月に一度は行われていたので、心が休まる月は無かった。良い成績を納めていれば問題は無かったはずだが、私はアカデミックな勉強にあまり向いていなかった。向いていなかったのに背伸びして進学先を選んだので、躓いていたどころの話ではなく、階段から転げ落ち続けている感じだった。

両親の言い分が理解できなかったわけではなかったが、実際に勉強をしている私の認識や体感からすれば机上の空論と言わざるを得ないことを言っており、それを言っても「難しいことは言っていない」と言われた。何が難しいのか、私はうまく説明できなかった。確かに、言っていること自体は難しくないし、何も加味しなければ実行も容易に思えることだったからだ。それでも、私にはできなかった。今思えば、両親は昔から私の「出来ない」に対して不寛容であった。

しかし、そんなものは理解できないのが普通なのだろうと思うし、理解しないままでも良いのだろうと思う。おかしいのは出来ない私であって、両親は難しいことを言っていない。私は「全員に見える位置に貼ってあるカレンダーに自分の確定している予定を書く」ことすら出来なかった。リビングの扉を開けた真正面にそのカレンダーが貼ってあるので、毎朝視界に入っているはずなのに、私は予定を書くことが出来なかった。両親には「忘れていた」と言い度々叱られていたが、本当のところは「見えなかった」が理由である。本当に見えなかったのだ。毎朝視界には入っているはずなのに、壁とカレンダーが同化して見えていて、意識に入ってこなかった。でも、こんなことを言っても理解されないと思ったから言わなかった。それで正しかったと思う。

 

私は物忘れが激しい上に気移りも激しいので、一瞬前にやるぞと決めたことを次の瞬間には忘れるし、忘れて別の作業をしていると唐突に思い出して、進行中の作業をほっぽり出して思い出した作業に移るみたいな行動もよくとってしまう。やめたいのに、どうしてだろう、覚えていられない。あと何度この行動を繰り返せば私は学習できるのだろうかと気がつくたびにため息が出る。

 

 

少し話がそれてしまった。

あとは、実家にいると小さな我慢が重なる。

一人暮らしでは必要のない順番待ちが発生する。洗面台の空きを待たないといけない、自分の入りたいタイミングでお風呂に入れない、エトセトラエトセトラ。

そして、自宅よりも家が広い分、冷暖房を使いすぎると電気代やブレーカーの問題が発生するため、基本的に帰省してから暑いっとずっと感じっぱなしでしんどい。自宅はずっと冷房をつけっぱなしだし、1Kだからすぐに冷房が効くし、自分の好きな温度に設定できる。寝床が暑かったことはない。今は暑くて寝苦しい。洗面台で化粧をしながら汗をかいているのもアホくさい。

けれど、暑い自室で我慢していても、私にかかる声は「リビングに来たら?」なのである。「エアコンをつければ?」ではない。兄は自室でエアコンをつけているのに、私はリビングに来ることを促されるのはなぜだろう。

言われるとおりにリビングに来てパソコンを開いてみても、本当に集中できない。私は端末の画面を覗かれるのが死にそうに嫌いなので、自分の後ろに来られたら作業を停止してしまう。話しかけたくて後ろに立たれるのはまだ良いが、特に用事も無いのに後ろに立たれるのは苦言を呈するほどには耐え難い。こっちを見るな。悪気なくスマホの画面を覗いてくる人もいるけれど、やましいことをしているしていないの問題ではなく、他人のプライバシーを侵しているという自覚を持ってほしい。

 

 

 

このブログもリビングで書いていたけれど、耐えられなくて別室に移動してしまった。こんな感じで究極に他人との共同生活に向いていないので、これからも一人暮らしをするのが平和なのだろうと思う。きちんと区切られた自分のテリトリーが無いとどんどんメンタルが衰弱していくし、我慢できない。たった1週間ぽっちの帰省なのに、初日からずっと一貫して「自宅に帰りたい」と弱っている。早くあの自由で自己責任な空間に帰りたい。「実家は親が家事をしてくれるから楽でしょう」みたいなことを言われることもよくあるが、私から言えば「自分が何もしていないのに結果だけ出てくるのは気持ち悪い」だし、というか普段も私は自分のペースで家事をしているし、家事を面倒くさく感じることはあっても他人にやってもらいたいという欲求は無い。同様に他人の分の家事までこなすのも御免だという気持ち。でもみんな口をそろえて「実家に帰ると楽ができるね」だとか「一人暮らしだとお母さんのありがたみがわかるでしょう?」だとか言ってくるので、私みたいに「何をしても自己責任だし何もしなくても自己責任!洗濯して無くて着るもの無くても自分のせいだし料理したくないときはしなくてもいい!自分のことだから罪悪感なんて必要ない!一人暮らし、最高~~~!!!」と考えているのは少数派なのだろう。仕方ないね。おわり。

 

 

あ、帰省のおみやげ欲しい人いたらリプください。(関東圏の人間向け)