水の都 しゃんどらんど

水の都での日常を記していきます。

部屋の隅の奥の方

意中の相手に時計を贈ることには、意味があるらしい。

「僕/私と共に時を刻んでください」と。

果たしてこれが有名なのかは定かではないし、私も知ったのはつい4,5年前くらいだ。

当時、私がとてもよく懐いていた講師の方が、何の気なしに教えてくれた。

ただ、それなりに前の記憶なだけあって、時計全般の話だったか腕時計に限った話だったかなどの細かい部分まではおぼろげだ。

「格好いいでしょう? 僕もね、いつかやってみたいんですよ」

ニコニコと話す彼を見つめながら、奥さんには贈ってあげないのですかという言葉を口の中で溶かしていた。

 

 

 

 

この時計は動いていないのかと聞かれて初めて、自分の部屋に置いてある時計が止まっていることに気がついた。

アナログ式の、ツインベルのものだ。真っ黒で猫の模様が施してある。

もともとはベッドの裏に落ちているのを見つけて、適当にベッドの棚に置いていたものだ。

いつ落としたかも記憶にないし、最後にその時計の針が動いているのを見たのがいつかも覚えていない。

不思議だなぁと思った。これは、人からもらったもので、とても大事にしていたはずなのに。いつの間にか思い出の中からその存在すら消え去っていた。

とても、とても大事な人からもらったものだった。でも、その人との縁はもうとっくに切れていた。そして、電池も切れていた。

たかが時計である。新たな単三電池を与えてやれば、またカチカチと心地よい音を立てながら現在時刻を示してくれるはずだ。

家に電池があるのも確認した。せっかく枕元に置いているのだ、動いてあったほうが便利に決まっている。

頭ではそう理解していたのに、なぜだか違和感があった。

私とあの人が一緒に刻んだ時間はもう終わったのに、まだこの時計は動くのだろうか。

……

別段、感傷的になったわけでもない。

恋しくなったわけでもない。戻ってくるものなんて何も無いし、取り戻したいものも無い。

ただ、猛烈に違和感があって、手にしていた時計も電池もほっぽりだしてしまった。

 

 

 

 

何ひとつとして取りこぼしたくないと思っていたものの中で、本当に取りこぼさなかったものはどれくらいあるのだろうか。

幸せだったことを忘れるのが怖くて、必死にどこかにメモや備忘録を書いていた自分の姿だけは、気持ち悪いほどに脳裏にこびりついている。

きっとこの部屋のどこかに、まだたくさん私が取りこぼしたものの残骸が落ちているのだろう。

そして、それらを全部捨てたところで、私の心の中の残骸はしぶとく生き残って噛み付いてくる。

私の部屋が片付かないのは、目に見える痛みすらどうにもできないことへの諦めでもあるのかもしれない。

貰い物の処分というのはとても困るので、酒を飲んだ勢いとかで捨てるかなぁ。